勇気の筋肉。

こんにちは、こんばんは。

夜の自宅からになりますが、ブログを書きたいと思います。


ただいま夜の20時49分。

大変ブログを書きたい気持ちに駆られています。


過去のそういった気持ちを振り返ると、

ある傾向があることに気づきます。


それは「悲しいとき」が圧倒的に多いです。


ブログにとどまらず、過去自分が書いてきた文章?も、

圧倒的に悲しい気持ちのときが多い気がします。


何故悲しい気持ちのときにブログを書くことが多いのでしょうか。


やはりその気持ちをどこかに放出して

あわよくばその気持ちを誰かと共有したいからだと思います。



この時点で気づくことはありませんか??


そう、、


「勇気?筋肉?内容と全然関係ないやんけ!」


って事です…笑


実は今回のタイトルで


書きたいテーマがあったので


何日も前から


頭の中で書く準備を進めていました。


しかし今回決めたタイトルで、


書き出してみると


中々その通りにはいきません。


「悲しいとき」


それはときに平常心や冷静さを乱し


頭の中にあった考えを


忘れさせてしまうものなのかもしれません。


だけどそれと同時に感じるのは、


生きてる


と言う、ただひとつの間違いのない実感です。


嬉しいとき


前向きなとき


よりも、


悲しいときに


感じるもののほうが



より強い「生」を感じることが自分は多いです。



心は傷んでズキズキしてて、


身体には力もいつもより入らない。


ケガをしたとき


病気になったとき


と、同じように


自分の命の鼓動を感じます。



前向きに生きているときは


いわば追い風が吹いていて、


自分が力を出さなくても、


勝手にものごとが進みだしてくれることもある。


しかし悲しいときは

そうはいきません。


ものごとにより敏感になっており


ちょっとしたことで傷つき

倒れそうになってしまいます。


前へ進み歩くためには


いつも以上に


力を込めて歩き出していかねばなりません。


自分の力がより必要になるときは


悲しいときのほうが多い。


だからこそ生きてる気がするし


悲しいときにこそ


とても深い深い意味があるのだと気づかされます。


本当は


愚痴も弱音も吐かずに進めたらいいんだけど、


少しくらいボヤいたって


誰かに迷惑をかけるわけじゃない。


ちょっとずつ、


ちょっとずつ、


悲しみに直面する度に


「生」の鼓動を聞き分けて、


自分の命が求める答えを聞き分けて、


それに向かって


少しずつ


歩いていければいいなと思います。





なんか、、、


話の内容が仰々しいな…笑


自分の書くブログの方向性については、


未だに悩んで迷走しております。。


本当に悲しいときとか


上手く行かないときは


早めに寝て、明日を迎えるに限るなぁと思います。笑



お読みいただき、ありがとうございました。